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トルコ旅行記 4日目 (※注:このページは長すぎるので、後日分割を予定しています。)
  今日は終日カッパドキアを観光です
 今日は移動もないので、荷物を作る必要もなく、若干ゆっくりできます。
 まずは朝食
  
 朝食はビュッフェ方式ですが、これですべてです。
  野菜として、トマトやきゅうりのスライス、オリーブ等があります。それほど好き嫌いがあるわけでは
 ありませんが、食べられる物を取ってきたらこれだけでした。 皆さん不満が多かったです。
 もっとも、このような山の小さなホテルで多くを望むことは無理と思いながらも。
  但し中央にある醤油みたいな色をしているのは、「ザクロジュース」でこれは意外といけました。
 右の写真はオレンジです。
 
 今日は盛りだくさん。多くの場所へ行きます。
 たくさん移動があったので、後でみたらどこかわからなくなってしまいました。
 間違いがありましたら、ご教授願います。
  なお、カッパドキアへは、年間20万人の日本人が訪れるとのこと。
 すべての観光客としたらすごい数ですよね。ちょっとびっくり。

○エセンペテ観光
 
 ふと見ると雪か氷のようにしか見えません。石灰岩です。 8:30出発で1番でやって来ました。
 あまり詳しい説明はありませんでしたが、ご存じのとおり、石灰が風雨で削られて、固い部分が残った結果
 このようになったとのことです。自然が作った造形なんでしょうか?
 
 有名な三姉妹の岩といわれる岩
 
 柔らかい凝灰岩が浸食され、固い玄武岩が上に残った結果奇妙な岩が出来たそうです・、

 
 人は様々な形を、「人間等の顔」と認識するようインプットされているようです。
 通称:ゴリラの岩と言われています。ちょっと離れて、ゴリラとのキスシーンを撮る。
 これが定番です。(ビザの斜塔と同じですね)
 どこへ行っても岩だらけ、その岩は穴だらけです。
 
 ○次は、ローズバレーです。
  連なる丘が夕陽を浴びて真っ赤に染まることから、ローズバレーと言われるそうです。

ここも一番乗り。でもただただ殺伐とした岩の風景が続きます。
昔行った、グランドキャニオンを思い出します。

風雨にさらされて、できた風景です。山岳地帯の岩山なので。緑はほとんどありません。

遠路のような通路があって、山の上まで行けそうですが、滑りやすく危険でしたので、途中で引き返しました。


駐車場では売店の準備を始めています。砂っぽいところで露店を開いていますので、
なんとなく敬遠したくなります。

○次は、バネッサの街を散策します。
 どうしてバネッサへ行ったのかは、ガイドのニハッドさんしかわかりません。
 景色が良いからみせたかったのか、時間調整なのか?

 私の記憶では、陶器の街で、壺を作っていると言っていた気がします。写真を撮りながら聞き流していたので・・・
 下の写真の中央の像はわかりにくいですが人が壺を作っている様子を示しています。
 
街中に、屋根付きの、「壺を作っている人」みたいな像があります。舗装は石畳で街の雰囲気がしますが・・・・


 ちょっと奇妙な像ですが、人が壺を作っている様子を
 陶器で再現した像です。
 わざわざ屋根を作ってあり、大切に管理しているのでしょうか?



















なぜか、人道橋(歩行者専用橋)の吊り橋があり、少しゆられながら川を渡ります。
 
対岸から、見たバネッサの街。 お決まりのモスクが見えます。
対岸も、景観を保全する目的で、古い建物は(自己資金で)同等に復旧するか、補償金をもらって、政府に建物を売るか
選択を迫られるようです。これは、バネッサだけでなく、トルコの全土における方針のようです。
 
大きなトラックにスイカを満載。奥は黄色いのでメロンかマクワウリのようですが、日本では見かけない風景なので撮ってみました。
しかし、旬の果物なのか、どこに行ってもスイカが豊富です。
右の写真ですが、ここで市が開いていて、風船を売るおじさんがやってきたところです。
よくパンフレットに載っていますが本当に見ました。
 バネッサ。初めて聞いた街ですが、川がありきれいな町でした。

○次は、絨毯屋さんへ行きます。(ちょっと不安)
 トルコ旅行で「絨毯屋さん」、「皮製品やさん」、「トルコ石やさん」は皆さんのHPを研究して、必須であることは
 知っていました。
 特に絨毯屋さんはセールストークが上手で、YOU Yubeでもその様子が掲載されて知っていました。
  皆さんの情報ではこのセールスを嫌がっている様子でしたが、私も同様に、トルコで一番いやなことは
 「絨毯等」の説明とセールスを受けることでした。
  どなたかのHPでは、「お金が無い」というとさまざまな支払方法を言われるので、「興味が無い」と言った
  ほうがよいとの指摘があり、私も説明は遠巻きにいて、興味がないようなふりを(本当に買う気もない)をして
  ひとり外れていました。
  但し、ガイドのニハット氏の話を聞いて、自分として、「これは良くなかった。」と反省しています。
  それにつては後で説明します。
  絨毯屋さんは何軒かあるようで、政府が補助している店と、民間の店があるようです。
 
 
看板は「BIZ Carpet」となっています。      りっぱな製品が展示されていました。
 
最初は、「蚕から糸を取る作業」について説明し、次に「絨毯の編み方」について説明があります。
ダブルノットという編み方についての説明も、皆さんのHPやYou Tubeと同じです。

名前は忘れてしましまいたが、You Tubeに出てくる方と同じ方でした。
(但し、他にも絨毯屋さんがあるようで、違う方が載っている動画もあります。)
彼は、日本の大学を出て、日本語を覚え、いまの絨毯屋さんをやっているとのこと。
トルコ絨毯の良さを盛んにアピールしていました。
それから、次々に商品の紹介があり、一通り説明が終わるとマンツーマン体制で商談(売り込み)に入ります。
自分は興味がないことを示すために外に外れていたので、少ないとも最初は誰もやって来ないので、早く時間が
経たないかと思いつつ、うろうろしていました。
 そのうち座っていると、ひとりの男性店員(すべて男性ですが)やってきて話しかけてきました。
うっとうしいなと思いながらも、対応することにしました。
「どこからきたのですか?」と聞いてくる。大都市に住んでいる人は東京・大阪で終わるのですが、地方都市の
私はS県と答えたが、それ以上聞いてこなかったので、多分しらないのかと思いました。
 次に、彼自身の話をし始めて、
 1)「説明した人(社長かマネージャーか不明ですが)に世話になって、この店で働きながら日本語
   を学んでいること。」、
 2)「24歳で独身であること」
 3)「近々、日本へ行こうと思っていること」、
 4)「きれいな日本語を学ぶために、美空ひばりを勉強していること」等
 5)いずれはこの仕事をやるかもしれない。
  等、身の上話をしてくれました。
 そして、小声で「愛燦々」の1番を歌ってくれました。
 「愛燦々」は美空ひばりじゃなくて、作詞は「小椋佳」だよと言いたかったけど、つまらないことは
 我慢して彼の話を聞いていました。
 そんな彼の話を聞いていると、トルコ人は今の日本人より偉いなと思ってしまいました。
 彼がなぜここにいて、どうして日本語を勉強したくて、これからどうしたいのかは聞けませんでしたが、少なくとも
 商売第一主義ではないことは理解できたような気がしました。
  友好国である、日本とトルコの関係が続くことを願いながら!!

 このあたりでざわざわ動きがあり、話は終わってしまいました。
一緒に来た方が、買われたので、ここで終了です。
「日本に来たら連絡しろよ」と言ってあげたかったのですが、時間もなく終わってしまったのが、ちょっと残念な気がしました。
彼はもともとあまり売る気がないのかなと言う気もしました。
  
 
絨毯の紹介(説明)が続きます。             最後の晩餐をテーマにした絨毯は高いです。

絨毯に興味が無いかと言えばうそですが、ほしいかと言えばそうでもない。トルコの絨毯は確かに良いものだと
感じますが、コストパフォーマンスを考えるとやっぱり引いてしまいます。
日本人としては小さくとも買ってやりたい気が無いわけではありません。
コストや人件費がかかることを思うとやっぱり割高かな気がしてなりません。
 但、後でガイドのニハット氏が言っていたことでちょっと考えがかわりました。
トルコでは昔は家で絨毯を編んで、それを売って嫁入り道具を買うことは、絨毯屋さんでも説明されますが
今では、家で絨毯を編む(織る)習慣も無くなりつつあり、学校で教えるなど、に政府としても「伝統技術の伝承」に
苦労しているようです。そこで、伝統技術を残す手法として、このような絨毯やさんに補助金を出して、技術を継承する
とともに、製品をお客さん(ツアー客)に買っていただくこともそのひとつであるとのことと私は理解しました。
この政策がうまくいっているかどうかが別ですが・・・・
 その一環としてお客を呼ぶ手法として、観光客に対する補助を政府がおこなっていると理解しました。
結果として、その恩恵を受けているのは私たちなのかと思いました。
 絨毯の売り込みは、旅行会社と絨毯屋さん、ガイドの儲けのためだけにあるのではないことがわかりました。
 このような趣旨を理解していただければ、絨毯屋さんを毛嫌いしたり、小物でも買ったりしていただけるかたが
増えるかもしれません。
 絨毯屋さんは一番厭だったのですが、そのあり方がわかってくると、仮に買わなかったとしても、、よく話を聞いて
あげることも大切なのかと感じました。 なんか変に勉強になった気がしました。
 

○次は「パジャパー」です。

駐車場の周りに多くの土産物店が張り付いていて、ここを進んでいくとキノコ岩がたくさんあります。
いくつかの大きな岩には洞窟風に削られ、実際に昔は住んでいたとのことです。
どのような人がいつごろ、何のためにについては、正確な答えが出せないので省略します。

奇妙な岩と言えば奇妙ですがたくさんあると、感動が薄くなります。


これらの穴(洞)には、入ることができます。やわらかい岩とはいえよく掘ったものです。
 
奥へ向かって進むと日本語で声をかけてきます。 ラクダ君もスタンバイです。
 
中へ入ってみましたが、それほど広くありません。          土産物屋の前には不気味なものがつる下がっています。

○次はお待ちかねのお昼御飯です。メインはカルヌヤクルです。
  
レストラン全景。何と読んで何の意味なのでしょう? 昼はまたまたビールを、飲みます。
 ジュースはたいてい缶ジュースがそのまま出されます。
 
前菜は、パンとそれに添える煮物。 スープはトマトだった気がします。
 
なすを畑で作っているのは見かけませんでしたが、これが名物のカルヌヤルク(なすの肉詰料理)です。
右はデザート。たぶん、フルン・ストラッチ(ライスプリン)です。甘いけどおいしいです。
お昼の「カルヌヤルク」はおいしいと皆に評判でした。

○次は、ギョレメ野外博物館です。
 午後の部開始です。何しろ暑いです。
  
 エントランスにやってきました。トルコ語のGIRIS(入り口)が、英語のGALSに似ているな、と思っていました。
 下は世界遺産「ギョレメ野外博物館」の、チケットブースです。

   
 チケットブースです。                  だいたいどこでも同じようなチケットです。
 
エントランスを抜けたところにある岩山です。埴輪のようなものは昔からあったものではなく最近置かれたもので、
あまり意味がないとのこと。 それより、岩が崩れやすく、だんだん後退して小さくなっているとのことでした。
  
岩山をくり抜いた住居跡で、中に入ると部屋のような場所、石のテーブル等があり、教会として利用されて部屋・礼拝堂には
キリストの絵が描かれた絵がありますが、ほとんど撮影禁止です。また、観光客が絵を削って持ち帰ったり、今まで管理が
よくなかったためか、絵が削られて、保存状態はよくありません。

昔、イスラム教の迫害を逃れるため、9世紀ごろキリスト教徒が岩を掘って教会や修道院を作ったと言われています。
リンゴの教会など、貴重な絵がありますが、撮影禁止となっています。

○次は写真スポット休憩です。
 ギョレメが見える写真スポットで休憩
 
ここにもラクダ君がいます。一日座って動かない。健康に良くないのか、暑いからじっとしていた方が良いのか
わかりません。ここで、トルコ名物、ドントルマ(伸びるアイス)があったので、話のタネに買ってみることにしました。
彼らも心得たもので、観光客がくると定番のパフォーマンスをやってくれます。
知っていても、その場で見ると面白いものです。味は悪くはありません。また食べても良いです。
また、犬がたくさんいて、残ったアイスのカップの部分を食べによってきます。ばりばり食べていました。

 


値段は、確か、一つ4リラ(約200円くらい)だと思います。





  右の写真をクリックすると、動画が動きます。
  (別ウインドウ)



















○次は、トルコ石やさんです。
 トルコの土産物販売の最後として、トルコ石屋さんへ行きました。ここは「ハーネム」というお店で
 日本の方が店員としていらっしゃって、チャイをいただきながら説明をしてくれます。
 皆さんのHPの記述でも、トルコ石さんは売りがあまり強くないとのことで比較的安心して話を聞いていました。
  ただ、宝飾品ですので、実用性が低く、絨毯や皮製品よりさらに必要性がないためか、結果として
 どなたも購入されなかったようです。お店の方、ごめんなさい。


○次は地下都市「カイマルク(世界遺産)」へ行きます。
 カイマルクは、キリスト教徒がアラブ人からの迫害を逃れるため造ったと言われる地下都市で、高さでは地下
 8階相当あり、台所、ワイナリー、教会等生活に必要な施設があったようです。世界遺産です。
 造った人たちは、これがまさか世界遺産になるとは思ってもいなかったでしょうね。
 
本業の合間に、村人が出て、掘り進めたそうです。岩はやわらかいのですが、掘削した土砂の運び出しが
大変で、これがおもな作業だったそうです。
 我々以外にほとんど来場者はいなくて、ほぼ貸し切り状態でゆったりと、ガイドニハットさんの説明を聞きながら
写真をとることができました。

この地下で暮らす時には、各家族が食事やら何やら、順番で決めて、狭いエリアを効率よく活用したとのこと。
ことろどころ、狭い場所や急こう配の場所もあります。また順路の矢印はありますが、これを見逃すと方向が
わからなくなります。どっちをむいても同じような風景なので!!


 

このような階段もあり、感じでは8階分は無いような気がしますが
 多分行っていないエリアを含めての話と思います。
 黒い石は、料理の跡のようです。







○次は「鳩の谷」へ行きます。
 鳩の谷は昔、鳩の糞を肥料として利用するため、岩に穴を掘り、鳩の巣として鳩を飼っていたとのこと。
 やたら鳩が多いです。

 青い、「ナザール・ボンジュー」がついた木は、ガイドブックでも有名です。
 日本人は我々だけで、韓国人や欧米人が多数いました。
それにしても、鳥インフルエンザが発生したらどうすんだろうとというのが私の心配ごとでした。
鳩は、意外と病気を持っていて感染するおそれは十分あるので、個人的に鳩は嫌いです。

 鳩の谷は多国籍の観光客でにぎわっていました。
 
鳩だらけで、まさに鳩の谷です。

○次は、オルタヒサールです。

このアングルがガイドブックに載っている撮影位置との事です。

何を撮ったのか? 屋根の上に赤い犬が2匹います。天然でこんな犬はいませんから、いかにも飼い主に
毛を染められたようでした。意図は何なんでしょうか?日本では虐待と言われそうですが・・・
でも元気に走り回っていました。

オルタヒサールの奇石がだんだん大きくなってきます。

中には入らないし、登りもしませんでした。下の方も岩が掘られていますが、特筆するものもなく、
管理しないと、だんだん朽ちていくような気がしました。

少し高台になっているので、周りが見渡せます。正面奥がローズバレーだと思います。

 ※バスへ戻る道、土産物街を歩きますが、お店以外に、個人の家の前だと思いますが
   歩道上に座って、何人かのおばあさんが人形が多かったと思いますが、何やら売っていて
   声を掛けてきます。 
    特にほしいものもなく、買う気もありませんが、なぜ、彼女たちがこのような場所に、このようなものを
   路上で売っているのかが気になりました。
   自分で作ったものを趣味で売っているのか、こずかい稼ぎで売っているのか、家計の足しになるのか
   ちょっと気になりました。買ってあげた方がいいのかなと思うながら・・・・・・
    もう少し、土産になるものならば買ってあげたいのですが・・・・・・・
  写真を撮ろうと思いましたがなんとなく、その雰囲気ではありませんでした。

今日は長い一日でした。カッパドキアは実質終了です。

○夕食は、洞窟レストランで「テスティ・ケバブ」です。
  
洞窟レストランですが、実はまたトルコ石やさんの建物に戻ってきました。アートセンター ハーネムの看板と
レストランの看板が併せて表示されていました。トルコ石やさんの地下部分をずっと奥に進んでいくと、
レストランがあります。洞窟レストランとのことで、壁を見るとなるほど石が見えました。
 斜面を削って、その上に建物を建てて、削った地下の部分を洞窟として利用しているようでしたが
推測の域を出ません。あまりにきれいで、洞窟レストランの印象はありません。

写真を撮り忘れましたが、今日は「カッパドキアワイン」をいただきました。
前菜は野菜サラダ。あまり味がありません。次は、日本で言う「チーズ巻き」で、メインディッシュはテスティ・ケバブ
です。デザートは、あまり記憶が無い。チョコレートムースの様な気がしたが・・・
 トルコはせわしない。前菜を食べ終わらないうちから片づけに入り、次から次に、客のペースに関係なくサーブされる。
朝以外はあわただしく食べるので、写真を撮り忘れたり、味わって食べる余裕がなかったり、忙しい。

 
 定番の生野菜は必須                 名前はわからない。チーズ挙げだ。
 
テスティケバブ(牛肉と野菜の壺焼き料理)といっているが、煮込み料理にしか見えない。

 早くも4日目終了。明日は、また移動日です。イスタンブールへ向かうので早起きとなります。
 気に入らない部屋へ戻って寝ます。


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