0日 | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7・8日目 |
トルコ旅行記
2日目 イズミールから「エフェスの遺跡群」をみて、「パムッカレ」へ行きます
今日は実質的に初日。ホテルから「エフェソス」へ行き、遺跡を見て、その後、恒例の皮製品のお店に寄りその後
昼食。パムッカレへ移動して、世界遺産「石灰棚」と「ヒエラポリス」を見て、ホテルへ向かいます。
ビュッフェ方式の朝食をがっちり食べて、観光に出発です。実質的には初日です。
エーゲ海沿いの海岸にはヤシが植えてあり、スペインのような感じがします。
トルコの地図を改めて見ると、黒海、マルマラ海、エーゲ海、地中海と、海に接する延長がいかに長いかわかります。
(古代遺跡)
観光案内書には、「美しい建築群が物語る世界最大級の都市遺跡」とあります。確かに広いし、紀元前の遺跡が残っている
しかし、世界遺産では無い理由は何なのでしょうか???
エフェスの遺跡の入り口につきました。
・紀元前750年にギリシャからやってきたイオニア人により建設された都市国家です。
シチリアにもギリシャ神殿があったことを思い出し、当時のギリシャの力があったことがわかります。
7月中旬、とにかく暑いです。帽子、サングラス、水は必需品です。また観光客の多さに脅かされます。
オープン後で、ぞくぞくと、他国籍の観光客がやってきます。まだ9時過ぎなのに、すでに暑い。
外国人グループも木陰で説明を聞いていました。
そういえば、よく観光地にいて、カメラを持って同行し、勝手に撮影し、その写真を販売する兄ちゃんがいましたが、
皆カメラ持ってるし、皆さん、無視していたらどこかへ行ってしましました。
ガイドさんが、最後に「集合写真をとりますよ」と言っていましたが それもなくなっていました。
他に良いお客さんがいたんでしょうね。
今はデジカメになって、こんな商売も少なくなってと思います。
広大な遺跡ですが、人がいっぱい。
遺跡には詳しくありませんが、柱の列を見ると、ここに建物があったのだなとわかります。
「オデオン」という、約1400人を収容できた議場であったとのこと。下段は議員が、上段は市民が座ったとのことです。
昔は屋根があったそうです。初めは、闘牛城のような場所劇場かと思っていましたが、下の平らの部分が狭いと感じました。
ガイドブックには約2万4000人が収容できたと言う円形劇場。
ガイド兼添乗員の「ニハットさん」の熱い説明が続きます。柱の耐震構造について説明していますが、
今後は動画を載せてゆきたいと思っています。
後ろから多く団体がやってきて、大変混雑していました。話では、イズミールの港に
オランダの豪華客船が入っていて、その客が分かれて観光しているとのことでした。
歴史に疎い私には、どれがどの遺跡なのかわからなくなってしまいました。予習が必要ですかね。
途中から案会板も取りましたが、小さくてわかりません。右の写真は「ドミチアン神殿」で、かつては、柱の間に
「ドミティアヌス帝」の像が立っていたとのことです。
柱の間を抜けて行きます。かつては、下の港からこの道路を通って貨物の運搬が行われたようです。
当時は、大変にぎわっていた事でしょう。
ちなみに通路の石畳みは復元された様ですが、ずさんな復旧がなされたとのことで、石の向きが合っておらず、
このような理由から世界遺産に登録されないのかもしれません?
左の写真はどこにも書いてありますが、トイレです。ポンペイ等に行かれた方はすでにご覧になっていると思います。
右の写真は、「セルスス図書館」です。近くに娼館があって、図書館に行くといって娼館へ行った人もいたとのこと。
なお、横の道には娼館への案内サインとして、足の絵があり、これをたどっていけば娼館へたどりついたそうですが、
こちらは修復中とのことで、みることができませんでした。
今後修復が予定されている場所のようです。ローマ帝国支配下では約10万人が暮らしたとされているとのことでかなり
広い遺跡があるのでしょうか?
図書館あり、劇場あり、娼館あり、人の暮らしは基本的に変わっていませんよね。
ただの荒れ地のようですが、手前の石や柱、奥の小高い場所に見える城砦や修道院も遺産です。
詳細は忘れてしましましたが、「時代の違う遺跡を同時に見られる場所」と記憶しています。
記憶にあるのは、ドイツの考古学者が勝手に発掘し、それらを本国に持っていって
しまった。と言っていたような気がします。
2)皮製品屋へく向かう
次は、「お約束」の一つ目。皮製品の加工・販売のお店にゆきます。
食糧事業率100%の農業国トルコ。多くのトラクターが外に展示されています・
日本ではあまり見かけない風景なので撮ってみました。
皆さんのHPを見ているとたくさんの皮製品屋さんがあるようですが、今回はここ、「Rossini(ロッシーニ)」
へやってきました。
まるで関係ありませんが、フィレンツェで利用した、★付きレストランと同じ名前です。
皮張りのソファが並んでいます。 右は、ファッションショーですが、タイミング悪く、後ろ向きになって
しまいました。
モデルさんが、着替えたり、裏返しに着たり忙しく動いていました。
よく、HPやU-Tubeで紹介されているように、モデルさんのファッションショーがあります。
まず、暑いためか、チャイではなく、冷たいアップルティーが出てきます。
次に、お客さんから抽出でモデルとして参加することになります。今回は個人情報の関係から割愛させていただきました。
皆さんのHPの情報から、指名されないよう、奥の方に座って他人ことのようにしていました。
結果として、3人の方が指名で、モデルとして参加されていました。
その後は、マンツーマンでの販売が始まります。かみさんから、「デブは何を着ても似合わない。」「太ると着られなくなる。」
「皮はカビが生えやすい」と言われていたこともあり、当然購入は見送りました。多分物は悪くないと思っています。
絨毯ほど高価ではないので、一瞬の迷いはありますが、ブランドで無い製品に見る目が無い私は、二の足を踏んでしまいます。
日本が流暢な店員となるだけ顔を合わせないよう、店員と最低限のやり取りでタイムアップとなりました。
気のせいかもしれませんが、我々が出ると、照明を消し、エアコンを切り、無駄をなくしているようでした。
売る方も大変なのだな!!と思いました。
薄いし、軽いし、リバーシブルだし、余裕があれば、買いたい気もありますが・・・
モデルさんたちは、売り場には出てきません。
3)昼 食 (シシ・ケバブ)
お昼も近くなり、レストランへ向かいます。
ホテルのようなマンションのような建物の1階にレストランはあります。暑いので、ともかくビールです。
トルコのビールと言うと、これ「EFES]です。
写真は取り忘れましたが、連れは「アイラン」という、ヨーグルトの塩味番みたいなのを注文。
皆さんのHPでその味は聞いていましたが、一口飲んで終了です。
左、前菜はサラダとパスタのようなもの。 メインはシシケバブ。肉の串焼きです。日本の焼き鳥を思い出します。
デザートは、スイカまたは焼きプリン(のようんもの)のチョイスです。スイカは豊富です。
この旅行では、朝、昼、晩、ほとんど、デザートとしてスイカが出てきました。
食後、エフェソスから200Km、3時間をかけてパムッカレへ向かいます。
4)パムッカレ
パムッカレの入口へやってきました。ここから右側写真のとおり、園路を歩きます。
このあたりも昔は白かったそうですが、温泉の流れがかわり、いまは黒くなってしまったそうです。
よく、パンフレットで見るような風景が現れました。すこし曇りぎみでこんなに青かった印象はありませんでしたが、
写真でみるとその色がわかります。
部分的に立ち入ることができるポイントがあり、今日は手前と奥の2か所で石灰棚の上を歩くことができました。
このあたりは、保護のため立ち入り禁止です。遊歩道の下から温泉が流れ出してきます。
これに含まれれる炭酸カルシウムが酸素と結合し、沈下・堆積していくメカニズムで生成されるようです。
手前に続き、奥の棚は多くの人が棚の上を歩いて、温泉の感じを楽しんでいます。どちらかといえば生ぬるい温度です。
外人さんは、水着を着て温泉に浸かっているひともいました。
景色を見ているときれいですが、ごつごつしているし、滑りやすいし、早々に上がりました。
世界遺産保護のため、はだしで入る決まりがあり、靴をはいていると、ガードマンに笛を吹かれて注意されます。
あたかも、氷河の上を水が流れているような錯覚になります。言われないと雪や氷のように思われます。
不思議な世界が続きます。 次は、パムッカレへ向かいます。
5)パムッカレ
パムッカレへ向かいますと言っても、歩いて200mくらいの場所に、「パムッカレ・テルマル」という、「世界不思議発見」でもやっていた
古代遺跡が沈んでいる温泉プールです。
アンティークプールとありますが、ここが温泉プールの入り口。広いとは言えません。本快適に泳ぐもの?
温泉保養なんでしょうかね。料金は30TLで1500円くらい、ロッカーを借りると確か40TLくらいだと思いました。
入ってみたい気持ちはやまやまですが、時間がありません。
わかっていても、遺跡が温泉に中にあるのは不思議です。もっとも普通の温泉ならば価値はないのかもしれません。
「ほんとうにあるんだ!!」と思ってしまいます。プールの周りは椅子とテーブルがあり、軽食や飲み物休憩ができる場となって
います。
トルコの代表的な花「キョウチクトウ」があちこち咲いています。言い忘れましたが、夏のトルコは暑いです。
帰り際に、ヒエラホリス全体像を描いた看板を撮ってみました。
最後に遠景から、パムッカレの石灰棚を撮りました。どうみても雪山です。
6)ホテルへ
今日の宿、「リクスリバーホテル」です。リクスリバーは5つ星ホテル。建築の高さ制限があると思いますが
2階建ての建物が別棟になって構成されています。下の右の写真はエントランス脇にある模型です。
なお、ここはスパリゾートで、温泉プールや、泥温泉もあり、温泉に浸かってゆっくりとしたい人には
良い場所ですが、夏は暑い。これが難点です。もちろん普通のプールもあります。
ホテル入り口です。 配置がわかるよう模型がありました。
部屋は若干狭め。床へスーツケースを広げようと思うと、応接セットを移動してやっとです。
エアコンはありますが、効きが良くなかったような気がしました。
私たちの部屋は1階で、地下はスパ(温泉)になっていました。
夕飯は、プルサイド横の広いテラスです。日本語メニューもあります。暑いのでまたまたビール。
「EFES」しかありません。食事はブッフェ方式ですが、ヒルトンのようにアメリカ資本でないためか、
いわゆるトルコ料理オンリー。
外でチキンを焼いていたり、ナンを焼いていたり、トマトを基本とする野菜類は極めて豊富でした。
世界3代料理の一つと言われますが、個人的には「どうして?」と首をかしげます。
雑談でも、「日本料理の方がきれいでおいしいのに!!!」との意見が多数ありました。同感です。
屋外で、カフェテリア方式。デザートは、スイカがメイン。どこへ行ってもスイカです。デザートもありますが、日本の食べ放題の
スイーツと異なり、ケーキなどありません。トルコ風スイーツで気持ちが悪くなるほど甘いです。さすがに1つ2つでOKでした。
奥でおばさんが「ネギ入りナン」を作って、その場で焼いています。暑いのに大変だなと思いながら、トルコ語が分からず。声も
かけられず、2回目に来ると山のようにナンが積まれており、減っていないので、苦労して焼いたのに申し訳ないので、
お代りを取り、いただきました。
仕事とはいえ、あまり残るとうれしくないでしょうね。
右の写真の麺は、日本の「焼きそば」のように見えますが、似て非なり。米粉で作った麺のようです。
あまり味のない麺でした。
周りは、東洋風の人が多く、隣は韓国人でした。旅行に行っても、昔は日本人ツアーと多数遭遇が多かったですが
いまは、韓国・中国・台湾の団体が極めて多いのがわかります。
夕方の食事の時間には、キーボードの弾き語り演奏(いわゆるBGM)をやってくれて、雰囲気は良いですが、
「コーランの放送時」には演奏を休んでいました。イスラム教国家なんでしょうか?
明日は3日目、移動日です。 途中、コンヤの「メブラーナ博物館」へ寄って、カッパドキアへ向かいます。