第7日目 3月20日(thu) パルマ・デ・マヨルカ→バルセロナ

『雨だれ』
 穏やかな朝日を浴びながら、ホテルの朝食バイキングを食べていると、早朝イラクがアメリカ軍に攻撃を受けたという知らせが入りました。戦争がいよいよ始まってしまいました。独裁主義国には民主主義は決して生まれないが、しかし何が良いのか悪いのか、誰が善人か悪人なのか、とにかくこの戦争が1日でも早く終わってくれることを願うしかないでしょう。テレビをつけると、カタルーニャ語で解らなかったが、どこのチャンネルもイラク戦争を伝える番組でした。ヨーロッパの各地で反戦デモが起こっている中、ここマヨルカはとても静かでした。
 私たちはパルマから北へ、ショパンと恋人ジョルジュ・サンドが愛の逃避行の地に選んだ、バルデモッサ村観光に出かけました。
途中は長閑な、草原とアーモンド畑でした。アーモンドの花はこの地では2月が見頃で、すでに葉が茂っていました。
 ショパンはフランスで音楽活動をしていましたが、作家であり、夫も子供もあるジョルジュ・サンドと愛人関係になってしまいました。そんな時、ショパンは風邪をひいて、なかなか治らなかった為もあって、ジョルジュ・サンドとその子供と共に、このマヨルカ島へやってきました。
しかし、ショパンの風邪はちっとも良くならず、医者から結核と宣言されてしまいました。当時の結核は不治の病で、隔離しなければならず、村の人達に嫌われてしまいました。また、ジョルジュ・サンドも、女性らしくなく、いつもズボンをはき、たばこを吸っている変わりものとして地元の人達とはお付き合いが上手くいかなく、アパートも追い出されてしまいました。そこで、現在ショパンの資料館となっている、カルドウーハ修道院で生活することとになりました。
 ショパンはフランスで愛用していたピアノで作曲をしたかったのですが、税関が手間取ってなかなか手元にピアノが届かなく、ジョルジュ・サンドはショパンの為に毎日のように税関へ通っては、早く届くようお願いをしていました。そんなある日、昼からジョルジュ・サンドはいつものように税関へ出かけて行くのですが、急に雨が降ってきてしまい、暗くなっても彼女はショパンのもとへ戻って来ることが出来ません。ショパンは、心配で心配で、外の雨音を聞きながら狂ったように夢中でピアノを弾き続けていました。そして出来た曲が「雨だれ」でした。
 芸術家の情熱的な生き様に感動しました。

<パルデモッサ村>

<ショパンが使ったピアノ>

<カルドウーハ修道院内のショパンの書斎>
管理が悪くて、本がぼろぼろなのが気になりました。

<アーモンド畑>

穴と言う名前の岩だそうです。
特に感動はありませんでしたが、海と空が青いのに感動しました。
バルデモッサは田舎町。枯れ木が寒々しいです。
夏はまた雰囲気が違うのかな?

ショパンのブロンズ像